商店街HACKプロジェクトでは、商店街やまちに興味がある方を対象に「情報発信」「事業承継」「新規出店」「組織構築」などのテーマで年4回のイベントを企画しています。
第3回目は、2017年1月29日に京都リサーチパーク町家スタジオで開催。
「新規出店」をテーマに、京都府内で日替わり店長のお店を経営する大滝雄介さんと山崎達哉さんをゲストに招き、お話を伺いました。
大滝 雄介(おおたき ゆうすけ)さん:チャレンジ&カフェバーFLAT+/株式会社大滝工務店 代表取締役
1982年舞鶴生まれ。1997年に西舞鶴高校へ入学、2000年に千葉大学工学部へ進学。2004年に㈱NTTデータへ就職。親御さんが体調を崩されたことを機に帰郷し、2007年に家業である(株)大滝工務店へ。2015年、同社代表取締役に就任。一級建築士。本業の傍ら、まちを楽しむ任意団体「KOKIN」の代表を務める。レンタルスペース宰嘉庵(さいかあん)の改修・運営や、まちの暮らしを切り取る写真集「ぼくのまち」の発行、日替わり店長のチャレンジ&カフェバーFLAT+の改修・運営に携わる。
“あったらいいな” から舞鶴に生まれたチャレンジカフェ「宰嘉庵」と「FLAT+」
大滝さんは現在、家業である大滝工務店の代表取締役と、“まちをたのしむ” をコンセプトに活動している任意団体KOKINの代表をされています。
本業では既存の建物を潰したり新しく建てたりすることが多く、「今ある古いまち並みを残していきたい」という思いからKOKINの活動を始められました。
また、Uターンで地元へ戻って来た大滝さんのように、一度都会に出て故郷に帰ってきた人が気軽に地域の方々と交流できる場所が “あったらいいな” と思ったのも、活動を始めたきっかけだったそう。
現在、KOKINでは「宰嘉庵」と「FLAT+」というチャレンジカフェを運営しています。いずれも舞鶴市の平野屋商店街周辺にあり、古民家や旧店舗だった物件をワークショップ方式で改修されました。
半世紀ほど前はこのエリアもたくさんの人で賑わっていたそうですが、現在は人通りが少なく、多くの店がシャッターを閉めています。そんな状況での新規出店は、まちにとっても画期的な流れだったのかもしれません。
チャレンジカフェには様々なお店が出店します。
宰嘉庵では、月に一度のまんが喫茶や、地域のパン屋さんと本屋さんがコラボした「パンの会」。FLAT+では、障がい者の方が社会と繋がるきっかけのカフェや、将来お店を開きたい方が店長を務めるカフェ、テキーラ好き店長によるテキーラ専門店、若者同士の出会いの場にもなっているバーなど、いろんなチャレンジができるお店として利用されています。
FLAT+を開業するために、初期投資でかかった費用が600万円程。厨房機器は閉店したお店から安く仕入れてコストを抑え、舞鶴市の補助金、京都府の「地域力再生プロジェクト」からも補助を受け、残りの360万円程は個人投資で賄ったそう。
とにかくチャレンジ!KOKINの次の展開はゲストハウス。
平野屋商店街の周辺には、既に改修を予定している古民家があり、そこをゲストハウスにすることで、今後はまちに「泊まる」体験を提供していきたいそう。
KOKINの活動を通して、かつて多くの人々が行き交っていたこの地に再び人の流れが生まれていくのが面白いと大滝さん。
そんな大滝さんが大切にしているのは、自分自身がまちをたのしむこと。そして、理論よりも実践。
大滝さん:「本業の経営で追及することと、個人のライフワークで追及することは、やり方は違うけれど、どちらも “いかに地域に良い影響をもたらすか” ということで、自分が大切にしたいと思う根っこの部分は同じ。絶対にリンクしてくると思う。」
実際にKOKINの活動を知った方から、本業の工務店にビル一棟のリノベーションを任されるなど、大きな仕事も舞い込んできたそうです。
本業を100%、KOKINの活動は楽しみながら20%程度の力の入れ具合でやっているとのことですが、その充実感は120%を越えて、130%、140%とだんだん増していくように思えるのだとか。本業とまちづくりの活動を掛け合わせている方々にとっても理想的な形ではないでしょうか。
僕は「日替わり店長のお店」で生計を立てています。
山崎 達哉(やまざき たつや)さん:魔法にかかったロバ/株式会社ヤマロク 代表取締役
平成元年生まれ、27歳。2011年に立命館大学産業社会学部卒業(乾ゼミ)。その後、(株)電通に入社し、同年退社。京都で日替わり店長の飲食店「魔法にかかったロバ」を開業。2015年に「(株)山崎ロックンロールスタジオ」設立。共同菓子製造工房と放課後教室 studioあおを開業し、色々あって寿司職人になる。自民党京都府連合会「未来の京都をつくる若者の会」代表を勤め、翌年には京都市長選挙、参議院選挙にて若者対象SNS戦略コンサルティングを行なう。2016年「(株)ヤマロク」に社名変更し、「若者と社会をつなげる」をコンセプトに、飲食、製造、教育、政治、デザイン、音楽、イベント運営など、多彩な事業を有機的に絡めて活動中。
(株)ヤマロクが運営するお店「魔法にかかったロバ(通称:まほロバ)」は、“若者と社会をつなげる” をコンセプトに、6年前に始動。「一条妖怪ストリート」としても知られている大将軍商店街の通りに店を構えています。
営業は昼の部・夜の部に分かれており、これまでにまほロバからは約600人の店長が生まれたのだそう。
そんなまほロバの一番のミッションは、通常、若い人たちがお店を始めたいと思った時に乗り越えなければならない壁を取り除いて用意しておくこと。
厨房を用意し、飲食業に必要な許可は山崎さんが代表して取得し、全店長はその指導を受けることで営業ができるというシステムです。価格設定や仕込み等について書かれている店長のノウハウブックも全て共有されているのが驚きです。
自身の「失敗」から生まれた、若者と社会をつなげるお店。
そもそもなぜ山崎さんは、若者と社会を繋げているのか、その手段がどうして日替わり店長なのか、それはご自身の「失敗」がきっかけだったそう。
大学卒後後、(株)電通に入社し、過酷なお仕事を経験した山崎さん。世間には様々な人がおり、人の数だけそれぞれの考え方があることを知り、実際に社会に出て学ぶことが多かった反面、「この学びをもっと早く、学生のうちにできていればよかったのでは…」と思うように。
そして、山崎さんはもう1つ疑問に思っていたことがありました。それは、周囲にいる多くの学生が「学校の先生」を志望していたこと。その理由として、学生にとって身近な「社会人」が 親や学校の先生であることが関係していると感じ、学生の間にもっと広く社会と繋がる場があれば、選択肢は今よりもずっと広がるのでは? という思いが強まります。
そこで、日替わり店長の仕組みを使って、いろんな人が店長になり、いろんな人がその店長をめがけて来店し、そこで様々な価値観と出会い、社会の多様性に触れてから社会に出てほしいと「まほロバ」は誕生しました。
まほロバに出店するお店も多種多様。
東北の震災を忘れないために学生達が毎月11日に東北の食材を使って料理を出す「きっかけ食堂」や、中南米を旅して周る学生がそこで知った美味しい料理を振る舞う「中南米Bar」。
また「おじさん店長枠」として、普段は別の場所で焼肉屋を営む店主が特別に自作のベーコンやソーセージをランチで提供する日もあります。さらには、市長や国会議員が店頭に立つ政治家店長の日も。
このようにして、まほロバは “若者が普段なかなか出会えない人達と出会える場” を創出しています。
まほロバの次の展開は「こども食堂」
最近、山崎さん達が力を入れているのは「こども食堂」なのだとか。
ここでは、八百屋や精肉店に協賛してもらって食材を安く仕入れ、子どもたちに無料で食事を提供しています。みんなでご飯を食べる機会を増やし、孤食を少しでも減らすためだそう。
また、山崎さんはまほロバの近くに学習塾を作っておられ、今後はさらに、美容室や体育館も作りたいと考えておられます。
「日替わり店長の店から新しい物語をつくる」トークセッション
タナカ(司会):まず、お2人はどのように店長を集めていますか?
山崎:基本的にはチラシを配って広報していますが、一番よくあるパターンは、お客さんで来た人がぽろっと「私も日替わり店長をしてみたかった…」とこぼすことがあるので、その場でお声がけをします。
タナカ:どのような人が日替わり店長をされていますか?
山崎:20~40代が大半で、3割が学生です。
大滝:舞鶴市内には大学がなく、学生がまちを歩いてることはありません。30代でも若いと言われます。なので、40代前後の女性が「いずれ自宅でカフェをしたい!」と予行練習のために店長になるパターンが多いですね。山崎さんのお話を伺っていて、大学生が来れるお店はいいなあ! と思います。
タナカ:集客はどのようにしていますか?
大滝:店長が自力でお客さんを集めないといけません。大変ですが、通りがかりのお客さんはなかなかいないので…
山崎:大滝さんの話が痛いほどわかります。実際にうちも7割ほどは店長が集めてきます。「まほロバならいつ行っても楽しいわ!」と思ってくれるお客さんを増やすことが目標ですね。
タナカ:周辺地域との関わりはどうですか?
大滝:地元なので地域との関わりは大切にしています。
オープン当時は、近所の方がちらちらガラス越しに見ているのがわかりました。目が合うとカーテンを閉められたこともあります(笑) そういうときはこちらから挨拶に出向いていきました。すると、気さくに話してくれるようになりましたし、今では「十何年ぶりに店が開いた!」と重宝されています。
山崎:うちはあまり商店街とは関わっていません。大学のゼミで別の商店街に関わっていたことがあり、ここでも商店街に関わっていこうと思っていたのですが、新規出店だったからか少し距離をとられてしまったことがあって。そこから商店街との距離を無理に縮めようとはしなかったです。
ですが、店が開店すると商店街周辺で一番盛り上がって、若い子の出入りが増えました。そんなこともあってか、商店街の方から声を掛けられるようになり、自然な形で交流が生まれました。今では「商店街に所属しなければならない」という意識はなくなり、良い関係性が作れていると思います。
参加者:大滝さんの同級生で今でも舞鶴に残っている人はどのくらいいるのですか?
大滝:30人いた高校のクラスの中で1~2人ですね。同世代で地元にいる人と今になって繋がることもあります。例えば、Uターンして「舞鶴って何もないよな〜」と思った人が、自分を訪ねて来てくれます。
参加者:なぜ山崎さんは出店場所をそこに決められたのですか?
山崎:学生時代、一条通りのお店でよく飲んでいたんです。
会社を辞めることを決意した頃、京都に戻って友達にその旨を話していたら、横に今の店の大家さんが座っていたんです。そしたら、「あんた勿体無いしうちで店やり!」と声をかけてくれて。初めは「そう言われてもご飯も作れないんで…」と言っていたのですが、店に連れて行かれ店内を見てみると、カウンターがあって、コンロ、洗い場など全てお客さんと接することができるスペースでした。それで、ここならお客さんとカウンターの中にいる人がコミュニケーションできて、とても良いと思ったんですよね。
「家賃はタダでいい」と言っていただきましたが、それは困るので初めはディスカウントで、店が軌道に乗り始めてからはちゃんと払っています。
さらに考えてみれば、周りには立命館大、同志社大、京都大、京都産業大など、たくさんの大学がありました。日本一学生の人口密度が高いエリアなので、前々から温めていた “若者に対してアプローチしていきたい” という思いにぴったり当てはまりました。だから、僕が場所を決めたというよりも場所が先に僕を見つけてくれましたね。
空き店舗の活用方法はいくらでも考えるから、まずはシャッターを開けてほしい!
大滝:実は舞鶴には昨年だけで40回外国客船が港に着いており、多くの外国人が訪れています。ですが、それを受け入れられるお店がとても少ない。空いている場所はたくさんあるので、もっとそういったお店があると良いなと思います。
山崎:シャッターが閉まっているお店のうち、どこが使える物件なのか知りたくないですか? 空き物件は探しても出てこないのに、シャッターが閉まっているお店は山ほどありますよね。何かに使われているのか否か…実態を知りたいです。小さいお店を持ってみたい人はたくさんいると思うので、僕たちが使える物件であればアイディアを出したいです。
タナカ:やはり「どこが空き店舗なのかわからない」という問題があるので、そういった情報がちょっとずつ表に出てくると、それを使って「何かやりたい!」という人もまた出てくるのかなと思います。
また、商店街周辺の物件の家賃は不安定で異様に高いこともあれば、タダで良いという人もいて相場が定まらない。そういったことをこれから商店街は管理していかなければいけないのかな、と思っています。商店街組織も今後変わっていく必要がありますね。
-大滝さん、山崎さん、本日はありがとうございました。
“チャレンジできる場所” や “日常生活ではなかなか出会えない人達と交流できる場所”
新しい物事を生み出していくプロセスの中で欠かせない2つの要素を兼ね備えた「日替わり店長のお店」。何かを始めたい人が商売の基礎を「商店街」で学びながら、新たにチャレンジする人達をみんなで応援する、そんなサイクルが生まれていくことで「新規出店」のハードルを下げることができるのかもしれません。本日お話いただいた2つ地域の今後の展開にも注目していきたいです。
イベント概要はFacebookページにて。