孤軍奮闘は続く?
全国的にもお客さんが高齢化し、商店街のお店も減るなど、地域の過疎化がどんどん進んでいます。ここ京丹後市でも例外ではありません。すでに解散してしまった商店街も多い中、なんとか地域の人のために「弥栄ラッキーシール会」を続けていきたい、一店でも店じまいさせまいと一生懸命尽力されている吉岡 昭(よしおか・あきら)会長。
今回の記事を書くために吉岡会長のお店「一心堂」に伺うと、現れた奥さんから「あんまり焚きつけんといてえな。私は、もう早うやめて欲しいというとるで(笑)」と強烈な先制パンチを食らいました。
横で吉岡会長は馬耳東風の体で静かに微笑んでいます。「まあ、その時がきたらなぁ、しまい方も考えなあかんと思てる・・・他のところはどうしなさるんかいな?」
弥栄ラッキーシール会ってどんなことをしているのか?
弥栄ラッキーシール会(以下シール会)は、京都府北部旧弥栄町(2004年4月1日の市町村合併により京丹後市となる)にあり、店舗が集まっているわけではなく、一定の地域に店が点在し、ラッキーシールの加盟店として個々店舗が繋がっています。
加盟店はシールと台紙を発行し、お客さんは500円購入するとシールが1枚もらえ、55枚貼れる台紙がいっぱいになると500円分の買い物や催しの参加等に使えるいうものです。
その加盟店はいまや7店舗のみ。「どんどん加盟店が減っているので、妻が心配している」とのことですが、シールは発行はしないが、シール台紙と商品が引き替えられる協力店は23店。飲食店、理髪店、美容室、電気屋,自動車屋等、日常生活に欠かせないお店が入っているので、地域の人にとってはまだまだ有用な仕組みです。中には台紙をためて車検に使う猛者もいるとのこと。
買い物利用の他、人気があるのはシール交換会のイベント。品物と交換の他、旅行や観劇などのイベントにも参加できます。
「観劇は台紙8枚分やったかな?ある程度の人数が集まれば、会場側が無料送迎してくれるので、こちらとしてもありがたい。ここら辺では普通ではなかなか行けないものが行けるので、このためにシールをためている人も多い。観劇はコロナ等の影響もあってここ何年かはやってないけど、シール交換会は昨年末(R3.12月)チラシをまいて実施し、その時は近隣の旅館への招待旅行もしました。」
シールをためている人はお年寄りが多いようで、先日も故人のタンスの整理をしていた家族の方から「おばあさんがためとったのをどうすればいいか?」と聞かれたそう。「買い物するか交換会での旅行に使ってください」って言ったら旅行に使われて、あとで土産を持ってきてくれたと吉岡さんはニッコリ。こういうつながりが、昔から続いているシール会の良さなのですね。
「台紙をためたままで使わずにいたり、自分は知らなくても親がためていたりする人もいるから、(会)をやめる前にはその精算もしんとならんし、そうなるとシール会もすぐにはやめられない。」と吉岡さん。またまた奥様に怒られそうですね~(笑)
「長いことお客さんと接していて、”人のために働いたらええ、人が喜んだらいいわ、私はだいたいそういう気持ち。」
そんな吉岡さんですが、「いろいろ宣伝するけど、いよいよだめか・・・と閉めることも考えるようになっている」とも。
吉岡会長のこと
シール会の創設は昭和57年4月からで、吉岡さんは平成14年から5代目の会長です。「私はお客さんとしゃべるのが若返りの元、お客さんから元気をもらってる」という吉岡さんは、なんとバイデン大統領と同い年!の御年80歳。「あっちが(バイデン大統領)が元気ならこっちも元気でやらなあかんなぁ」とまだまだ意気揚々です。
また、元気の秘訣は歩くことだそうで「毎日だいたい1万歩歩いてるなぁ。今日は1万3000歩(ポケットから万歩計を出して)。店の中や納品しに行ったり、あれこれしてるとそれくらいにはなるね。」
「歩くのを意識している、それが健康法」と話します。「自分が元気でなかったら、お客さんとも楽しくしゃべれんしなぁ)」自分の健康のことだけではなく、地域の高齢者のこともいつも気にかけており、「チラシやいろいろなものを(会員店舗に)配りに行く時に、『店閉めるなよ』って言ってる。店をやめたら店主も人としゃべることも少なくなってしまう、『閉めたらあかん、商売はしんでいいけど、店は開けとけ』って。」
開けてはもらっているけど,ほとんど品物はない店もあるそうですが、「近所の買い物車を押してくるようなおばあさんには、店が開いているとうれしいと思う。店でちょっと腰掛けて話をしたりするのが楽しいやろうし・・どう言ったらいいんかな、井戸端会議?一種の発散の場やね」
「女の人は誰かと話せば発散できるし(笑)、サロンみたいなのを作ってあげればいいかなと思ってる。男は一杯飲みがいいけどね」
※京丹後市のアンケート調査の数値を見てみると、京丹後市の高齢者世帯65歳以上の人がいる世帯割合は、国や府の割合を大きく上回っています。家族構成をみると夫婦2人暮らしと一人暮らしを合わせた割合が過半数を超える全体の55.9%。外出の頻度については週1回以下が26.8%あり、閉じこもり傾向がみられ、社会参加の機会も少ない傾向が。
(第8期京丹後高齢者保険福祉計画より)
お店のこと
昔は、弥栄町には集落ごとに今でいうコンビニみたいなお店(食料品から雑貨などを扱う店)があったそうで、吉岡さんのお店がある溝谷が弥栄の中心地だったそうです。
「一心堂という名にして100年超えてるんですよ。祖父が始めた頃は”一心堂”という名前からわかるように薬屋さんやったんです、衣料品も祖父の時代から。戦時中前後は配給制で店に商品を置いていたけど、本格的に衣料品を置きだしたのはそのあとくらいから。回りに衣料品を扱う店がなかったので忙しかった」
「呉服の展示会やら宝飾展、いろいろやったねえ」と接客に出てきていた奥さんも懐かしそう。”一心堂=百貨店”と表記していたときあるそうですが、吉岡さんの代になったときにその表記はやめたそうです。
お店でファッションショーをやっていた
「店の二階がフロアになっていて、イベントの時だけマネキンとかを問屋や仕入れ先から借りて”ファッション展”しますよというDMとかを播いておくと、その日、近所の女性の方が集まって、ディスプレイされている洋服を取っ替え替え替えしながら楽しんでくれて・・・。そして、結構買って帰られましたよ」と当時のことを話してくれました。
「どっちかと言えば、私はコーヒーサービス係で、こちらが勧めなくても、それぞれがお勧め合ったりして、知らないもの同士がうちのお店で友達になったということもありました。」
まさにお店が”商い×交流の場”となっていたのですね。
「店の役目って、やっぱり人のためにという気持ちが一番と思えてきて、今はどちらかと言えばボランティアみたいになってるかな」と吉岡さん。近くに喫茶店があったときは、そこでおしゃべりをした後に買い物をしていたのが、喫茶店が閉店し集まる場所がないようになった今「一心堂」のような店は地域の高齢者にとっては無くてはならないものとなっています。
配達業務で地域の高齢者を見守りも。
この地域でも自分で買い物に来られないお年寄りも多いので、食料品などは移動販売車が来るようになったとのことですが、「一心堂」ではパートさんを雇って午後から配達してもらっているそうです。「シャツ持ってこい、パンツ持ってこいって注文がある。相手も午後からの配達ってわかってるから,昼前くらいに電話がかかってきて大変。」
一軒づつ訪問しての配達ですが、高齢で耳が遠い方が多いそうで、玄関先で声をかけても返事がないので、部屋まで上がって届けることが多いとか。
「まぁ、いろいろと考えるんだけど・・・もし、うちがやめたらどうなるんやろか?そうしたら,近所の人も困るやろうし、行く場所もなくなっちやうしね」と、自分のことよりも他の人を心配する吉岡さん。そんな吉岡さんを見つつ、「元気な間は(店を)したいやろうけど、そろそろ限界だと言っている」と奥さん。
「ちょっと前は80歳になったら仕事を辞めようと思ってたけど、実際80歳になったら、『やめるか!』って気になってきた(笑)まぁ、5カ年計画、85歳を目安に考えるかなぁ。90歳言うたら、ちょっとヤバいな・・・」と吉岡さんが言うと「もっと早よせんとあかん」とまたもや奥さんからの声。
ちょうど夫婦漫才の一部を見ているようで面白いのですが、やはり冷静に考えてみれば、確かに奥さんの言われるとおり、まだまだやる気満々の吉岡さんですが、吉岡さん個人ですべてのことをやっていくのは限界がありますね。
これからのこと
地域においては、人が集まるなんらかの活動がなくなると、今までの地域コミュニティのつながりも希薄になってしまいます。その中で,交流の場だったり、見守りなど、高齢者の生活を維持するための必要な機能やサービスを一手に引き受けている吉岡さん、今やこの地域のコミュニティの核となっている「一心堂」。
このような地域の高齢者世代に必要とされることをしつづけるのは本当に素晴らしいことだと思います。しかし、個人の力にいつまでも依っていることもできません。
近年、この地域近くにも若い人が移住してきていると聞きました。吉岡さんのような人がいること、その思いをぜひ知ってもらい、従来の商店街としての枠組みだけでなく、また老若男女が入り混じってこの地域の将来のまちづくりとして考える機会がもてるようにするにはどうしたらいいのか?
私たちとしてもこのような課題に向けてどのように支援していくのか?改めて考える機会となりました。
□株式会社一心堂:京都府京丹後市弥栄町溝谷